脱毛症③

[2024年09月11日]

脱毛症の第3回目です。

今回も前回に引き続き、本編ではなく番外編です。

ヘアレス種にはどのような遺伝子に異常があり、どんな異常が起こるのかについての

お話をします。前回よりさらにマニアックな内容になると思います。

遺伝学的な話がメインとなるのでちょっと難しい言葉も出てきますが、私の知りたいこと

だけをまとめた自己満足的マニアックなお話ですので軽く読み流してください。

 

そもそも犬って他の動物に比べて種類がかなりたくさんあると思いませんか?

これは、犬という動物の遺伝子に秘密があります。犬の遺伝子は突然変異を起こしやすく、

このことが現在の犬種の多様性に繋がっているようです。

例えば、体の大きさや手足の長さ、毛の色、直毛やカール毛などの毛質、短毛や長毛など

毛の長さが異なる等、実に様々な種類の犬種が存在します。このような犬の遺伝子の多様性

を昔の人は科学的な知識はなくとも感覚的に認識しており、経験的に自分たちの好む特徴の

犬種をデザインして作り出してきました。水が得意な犬種や力持ちの犬種、足の速い犬種、

狩りの手伝いになる犬種など人間の仕事に有益になる特徴をもった使役犬を作り出したり、

愛玩動物として短頭種などの愛嬌のある顔や体格の小さな犬種、その逆で大きな犬種も作り

出しました。毛がない犬種もその中の1つです。

現在では、遺伝子解析技術の進歩のおかげもあり、犬の遺伝形質は先ほどお話しした体格

や毛色、毛質などの特徴と病気になるものを合わせると852あることがわかっています。

これでもまだすべてではないので、これから先まだまだその数は増えてくると思います。

その中の少しですがご紹介しますと、IGF-1(インスリン様成長因子)は体のサイズに影響を

及ぼすことがわかっています。また、FGF4(線維芽細胞成長因子)はミニチュアダックス

フンドなどの胴長短足の犬種に影響することが分かっています。毛色や色柄のパターン、

毛質に関しての遺伝子やヘアレス種の原因となる遺伝子もわかっています。

2系統あるヘアレス種のうち、多数派である古代犬種のグループは、FOXI3(forkhead box

transcription factor)と呼ばれる遺伝子に変異があることが分かっています。この遺伝子は、

外胚葉がさまざまな組織に分化していく際のレギュレーターとして働きます。ここがおかしいと

外胚葉の分化が正しく行われません。ところで、外胚葉って何のことかわかりますか?

動物の発生において、卵子と精子が受精すると細胞分裂(卵割)が始まります。卵割が進むと

内部に卵割腔を持つ胞胚期、次いで原腸胚期となっていきます。 胚発生のごく初期に3つの

胚葉が形成されますが、それぞれの存在する場所により、外側から内側に外胚葉、中胚葉、

内胚葉といいます。外胚葉は、神経系(脊髄、末梢神経、脳)、歯のエナメル質、表皮、口、

肛門、鼻の粘膜、汗腺、毛髪、爪を形成します。内胚葉は消化管とその派生的な構造に発達

して、中胚葉はその両者の間を埋める非常に多様な構造に分化します。

FOXI3遺伝子に変異が起こると外胚葉の分化が異常になり、外胚葉が上記のような各組織を

正常に作っていくことができなくなってしまいます。そのため、毛が生えない状態になりますが

それだけでなく他にも、歯の数が足りなかったり、歯の形や歯並びにも異常がある状態も

同時に認められることもよくあります。

つまり、古代犬種のグループの犬たちは、FOXI3遺伝子の変異による”外胚葉異形成症”という

病気であるということもできます。

この古代犬種のグループの無毛になる遺伝は、FOXI3変異遺伝子の単一遺伝子によるもので、

顕性遺伝することがわかっています。顕性遺伝とは、昔は優性遺伝といわれていました。

ちなみに、遺伝の法則が日本に紹介されてから、ずっと遺伝の形質の現れやすさを元に”優性”

”劣性”と言われてきましたが、遺伝子に優劣があるという誤解や偏見を避けるため、2017年に

日本遺伝学会が優性遺伝のことを顕性遺伝、劣性遺伝のことを潜性遺伝というように改められ

ました。私が学生の頃は優性、劣性で習いましたので顕性、潜性という言葉は正直なんとなく

しっくりきません。

”FOXI3変異遺伝子は顕性遺伝する”ということはどういうことなのかということについて

ちょっと説明します。

顕性遺伝するとは、お父さんとお母さんが顕性遺伝子を持っている場合、そのどちらか

一方からその遺伝子をもらうことができれば、その形質を遺伝することができるという

ことです。つまり、お父さんかお母さんのどちらからでもいいのでFOXI3変異遺伝子

をもらえさえすれば、ヘアレスとして生まれてくることができるということです。

ただ、このFOXI3変異遺伝子には1つ問題があります。お父さんとお母さんの両方から

同時にFOXI3変異遺伝子を受け継いでしまうと正常に成長することができずに体内で

胚のうちに死亡(胎生致死)して再吸収されてしまうというところです。これは、

FOXI3変異遺伝子が致死性遺伝子でもあるということを意味します。

ということは、交配に気をつけないとヘアレス種は生まれてくることすらできない

ことを意味します。何も考えずにヘアレス種同士のみの交配を続けていけば、

どんどん減っていってどこかでヘアレス種は絶滅する可能性もあるということになります。

しかし、実際には現存しているヘアレス種は太古から絶滅することなく存続しています。

これはなぜなのでしょうか?そこにはちゃんと理由があります。

これらの犬種には必ず毛の生えるタイプも存在しており、コーテッドとかパウダーパフとか

呼ばれています。これらの毛のある個体が、実はヘアレス種の存続に非常に大事な要素と

なっています。ヘアレス種の交配では、必ずコーテッドとヘアレスを掛け合わせることに

なっています。こうすることによって、胎生致死を起こさないようにして絶滅を免れて

きました。

昔の人々は、このような遺伝学的な知識をまったく知らないにもかかわらず、繁殖していく

中で経験的にヘアレス種を存続させる方法をなんとなくわかっていたのだと思います。

つまり、ヘアレス同士を交配すると生まれてくる子犬が少なくなり、ヘアレスとコーテッド

を交配すると生まれる子犬が多い(少なくならない)、コーテッド同士を交配するとへアレス

は生まれてこないということを経験的に理解して、ヘアレスが一番効率よく生まれるように

交配を無秩序に行わず、ルールを決めて行ってきたと考えられます。昔の人々の観察力と

知恵には脱帽です。

だからこそ、ヘアレス種を守るために毛のあるコーテッドも現在まで同時に大事にされて

きたのでしょう。ヘアレス種の存在を支えてきたのは毛のある個体であるコーテッドの

存在があってこそだということは忘れてはいけませんね。

 

それでは、最後にヘアレス種の少数派であるアメリカンヘアレステリアについて

お話しします。アメリカンヘアレステリアの無毛になる原因は、SGK3(glucocorticoid

regulated kinase family member 3 gene)遺伝子の欠失変異であることが分かっています。

これが分かったのは2017年です。アメリカン・ケネル・クラブで公認されたのが

2016年ですので、その翌年に原因遺伝子がわかったということです。

ちなみにアメリカンヘアレステリアは、1972年にラットテリアの中から偶然生まれた

無毛の個体から始まりました。その犬の名前もわかっています。ジョセフィーヌという

名前のわんちゃんらしいです。この時の飼い主さんがこの無毛の犬を後世に残したいと

いう強い思いから、ブリーディングをスタートしました。それから、8年後に無毛の

兄弟を出産して、アメリカンヘアレステリアの基礎犬が誕生しました。そこから現在

に至ります。この犬種は原産国のアメリカでもかなりの希少種みたいです。日本を含め、

アメリカ以外の国にはほぼいないそうです。

SGK3遺伝子は、マウスの研究により出生後の毛包発達に重要な働きをすることがわかって

います。SGK3遺伝子が欠失変異することによって、アミノ酸の読み込みがおかしくなり、

正常な働きのできないタンパク質が作られてしまうため、毛包発達に異常が起こると考え

られています。

そのため、アメリカンヘアレステリアは、生まれた時はヘアレスではありません。

生まれたときは、全身に柔らかい毛がまばらに生えている状態です。生後に毛包発達がうまく

行かないため、毛周期が1周する2か月ほどのうちにすべての毛が抜け落ちていって、その後は

ずっと毛が生えてくることがないという特徴を持ちます。古代犬種のグループとは無毛のメカ

ニズムが全然違いますね。

古代犬種の場合は、FOXI3遺伝子の変異による”外胚葉異形成症”という病気だともいえると

言いましたが、アメリカンヘアレステリアの場合は、SGK3遺伝子の欠失変異による

”毛包異形成症”という病気であると言うこともできます。

遺伝様式も古代犬種のグループとは異なり、アメリカンヘアレステリアでは潜性遺伝する

ことがわかっています。

潜性遺伝とは、お父さんとお母さんの両方から同時にSGK3変異遺伝子を受け取ったとき

だけにしかヘアレス種が生まれないという遺伝様式です。お父さんかお母さんかどちらか

片方からしか変異遺伝子をもらえなかった場合は、ヘアレスとしては生まれません。

顕性遺伝に比べて、潜性遺伝はその形質が表れにくいのが特徴です。つまり、潜性遺伝の

方がその形質をもった子供が生まれる確率が低いということです。

古代犬種のグループとは、原因遺伝子も遺伝様式も全然違います。もちろん外胚葉異形成も

ありませんので、古代犬種のグループで見られるような歯の形成異常はなく、無毛以外の

その他の変化は全くありません。

 

ヘアレスドックはかなり昔から存在する犬種であるにもかかわらず、その数が少ないのは、

他の犬種に比べてその血統を維持していくことがすごく難しかったからなんだろうなと私は

感じました。また、今回いろいろと調べて思ったのは、ヘアレス愛の深さです。

遺伝学をはじめ科学的な知識が全くない時代から、ヘアレス種を心から愛する人々がいて、

知恵を絞りその経験のみでヘアレス種を絶滅させないように現代まで守り抜いてきた人々が

いたおかげで現在もこれだけのヘアレス種を見ることができています。

このような人々のヘアレス愛をひしひしと感じました。みなさんはどのように感じましたか?

これで、脱毛症の番外編は終わりです。疲れましたね。今回はこれで終わらせたかったので

長かったのですが一気にいきました。ここまでお付き合いいただきましてありがとうござい

ました。まあ、これだけ知っていたらあなたも今日からヘアレスドッグマニアです。

次回からは、ちゃんと本編に戻ります。

 

森の樹動物病院は、鹿児島で犬と猫の皮膚病、脱毛症の診断治療に力を入れています。

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