靖国神社
[2017年07月15日]
鹿児島では梅雨が明けました。これから暑い夏がやってきます。
先週の九州北部の集中豪雨では、かなりの被害が出ているみたいです。連日のニュースで
死者、行方不明者が多数出ているとのことが報道されており、心が痛みます。
犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。また、1日も早い復旧復興とこれ以上の
被害拡大のないことをお祈りいたします。
先週は、セミナー参加のため東京に行ってきましたが、その内容についてはまた後日
ご報告したいと思います。出発前鹿児島は雨模様でしたが、東京はかんかん照りの夏日でした。
セミナーまで時間があったので、何かして時間をつぶそうと考えていたら、近くに靖国神社
があるということに気づき、靖国神社に参拝に行ってきました。学生のとき関東に6年も
いながら実はこの日が初靖国でした。
私の父方の祖父の弟が、激戦地硫黄島にて戦死してるそうです。医者を志し勉強していた
ときに招集、戦死だったと生前の祖父に話を聞かされていました。菊の御紋が大きく
書かれた賞状と勲章が祖父宅に飾られておりましたが、小さい頃はふーんという感じで
しか聞いていませんでした。
大きくなり硫黄島での激戦、悲惨な状況を知りました。20代前後で夢を抱き、やりたい
ことがあったのに戦地へ送られ、志半ばで死んでいった無念さと戦地での過酷な生活、
玉砕覚悟の地獄のような戦場、このように言葉には表せても正直、平和にどっぷりつかった
私には到底想像もつきません。
今回、靖国神社の参拝は祖父の弟へのお参りの意味もありましたので、ちょっと感慨深いところ
がありました。この日は参拝者は少なく、境内は物静かでとても神聖な感じがしました。
ただ1つ他の神社との違いを感じたのは、おまわりさんが境内を見回りしていたところです。
特殊な政治的問題を抱えた神社なんだということを身をもって感じました。
境内をいろいろ見て回ったのですが、多くの若者が祖国のため家族のために犠牲となって
いった時代があったんだということを慰霊碑を見て改めて実感しました。
以前テレビで戦争体験者が、戦争で死んでいった若者たちにはかわいそうだと思われ
たい人は誰もいないと話していました。当時の状況下では、家族を守るためひいては
自分の国を守るため、自分の身命を賭して戦場に向かうことはある意味当たり前の
ように感じていたはずだと。
現在の平和な日本で生活している私には、この言葉はちょっと異常にも聞こえましたが
なんとなく理解できるところもあり複雑な気持ちになったのを覚えています。
毎年8月になると靖国参拝のことがニュースで流れます。
”靖国で会おう”と日本の未来のために死んでいった方々に感謝の気持ちをこめてお参りに
行くことがなぜいけないことなのでしょうか?賛否両論あることは重々承知の上ですが
私は国民の代表である内閣総理大臣こそ毎年参拝するべきと思っています。
もちろん戦争を美化する気は毛頭ありませんが、国家が戦没者に対して堂々と敬意を払う
ことができないのは日本だけです。
靖国神社にお参りすることは戦争を肯定することではなく、むしろ平和を感謝し、二度と戦争
をしない、同じような戦死者を出さないという誓いをすることのような気が私にはします。
反省するべきはしっかり反省する。しかし、戦没者への慰霊、敬意を払うということはまた
別なことだと思います。どこかの2つの国だけがやんややんや言ってきてややこしいことに
なっているだけのようにも私には感じられます。。。
すいません。なんか政治的な方向にいっちゃったような。。。ちょっと話題をかえまして。
靖国神社は、明治維新の際の殉難者と明治以降の戦争、つまり第二次世界大戦までにおいて戦い
没した御霊がお祀りされていています。
私はてっきり人間だけだとばかりだと思っていたのですが、境内で下の慰霊碑をみつけました。
軍馬と軍用犬の慰霊碑です。馬も犬も人間に対し従順で昔より我々と寄り添って生活してきました。
それが人間の勝手な都合で戦場に駆り出され、死んでいきました。
ある意味、一番の犠牲者は彼らなのかもしれません。